2013/02/26

基礎の大切さ

先週の土曜日,知り合いのS田さんが塾に顔を見せてくれたので,せっかくなので,土曜特別クラス 「やり直し中学英語 読解・音読教室」 に参加してもらいました。

S田さんは,大手旅行会社で英語を使った仕事をされているので,野球に例えるなら,1軍で活躍されている現役選手といったところでしょうか。こうして2軍3軍の練習に参加してもらえると,雰囲気も締まってなかなか良いトレーニングができたのではないかと思います。

土曜特別クラスは,英語の基本トレーニングの場なので,一流選手と言えども,きっと何かしら学ぶべきものがあったのではないかと思います。
プロ野球もキャンプ真っ只中,選手は単純な捕球動作や素振りを何度も繰り返し,徹底的に「基本」をひとつひとつ確認していますが,英語も同じことが言えますよね。

試合前の練習などは,プロ野球に限らず,少年野球から,高校野球,社会人野球に至るまで,おおよそ同じ練習をしていますが,これが基本というもので,強豪チームほど,基本に忠実に,例えばキャッチボールでさえ周りを圧倒するほどの気迫を込めてやっています。

基本よりもカリキュラムを優先させて,ビシッとキャッチボールさえできない投手に,やれカーブやフォークボールだの,やれチェンジアップやクイックモーションだのと言ったところで,砂上の楼閣に等しい。

まじめな選手ほど,教えてもらった野球教本を読んでばかりでやった気になり,あるいは,基本的な捕球姿勢も教わらずに,むやみやたらにノックを受けては捕れた捕れなかったで一喜一憂したりしています。

こういうことにならないように,キャッチボールの大切さを教えることで,野球本来の楽しさをもっと味わってもらえるような,2軍3軍の選手をサポートする監督兼コーチとして,やっていけたらなと思いますね。

英語は知識理解の教科で終わらせてしまってはだめなんですよね。音読などのトレーニングを利用して,スピーキングやリスニング力アップへとつなげていって,使える英語を目指さないとね。

そのためには,何が基本で,何が発展的な事柄なのか,また,何が原則で,何が例外的な事柄なのか,しっかりと整理することが大切だと思う。せっかくの努力が,砂上の楼閣に終わらないように。




2013/02/20

一般教書演説 2013

Last week, on Feb 12, U.S. President Obama delivered his 5th State of the Union Address (SOTU) to a joint session of Congress.  

Feb.12, incidentally, is the birthday of Abraham Lincoln, the 16th President of the United States!

Below is the full text of the SOTU 2013.   I espcially liked the last part (from 0:51:45) where President Obama started talking about gun control. Please check it out!



THE PRESIDENT: Mr. Speaker, Mr. Vice President, members of Congress, fellow Americans:

Fifty-one years ago, John F. Kennedy declared to this chamber that “the Constitution makes us not rivals for power but partners for progress.” (Applause.) “It is my task,” he said, “to report the State of the Union -- to improve it is the task of us all.”

2013/02/15

Always 3丁目の夕日 '64

珍しく新聞のテレビ欄を見ていたら,今夜 「Always 3丁目の夕日’64」 があると知り,さっそく電話で母親に伝えた。

劇場で公開された一年程前には,一緒に映画館で観ようかと話してはいたが,結局は行かずじまいだったからだ。

「へー,そうなの,じゃあ観てみる。ドラマなら『とんび』は観てるよ」

映画があることは知らなかったようなので,電話した甲斐はあった。

1964年という年は,母親が僕を生んだ年で,言ってみれば「特別な年」なのである。

劇中では,東京オリンピックの「東洋の魔女」(女子バレー)の決勝戦が始まろうかという時に,小雪が吉岡君の子どもを無事出産したが,その前日,僕もこの世に生命を授かっていた。

主演の堤真一や薬師丸ひろ子も僕と同じ年だから,きっと特別な思いもあったんじゃないかと思う。泣かせる映画でした。涙もろくもなりました。

最後に,とっても印象的なセリフがあったので,書き留めておきます。

むつこ(堀北真希)が菊池先生(森山未来)を,親代わりの堤と薬師丸夫妻に紹介した際の,宅間先生(三浦友和)のセリフです。
一言だけ言わせてください。今は皆が上を目指している時代です。皆が豊かで便利な暮らしをしたいと思っている。医者だってそうだ。みんながなりふり構わず出世したいと思っている。しかし,菊池君はそれとは違う生き方をしている。私は不思議に思って聞いてみたんです。血気盛んな若者がなぜ出世を望まないのか。彼は「うれしいから」だと答えた。お金持ちになるより人の安心する顔を見るほうが「幸せ」だと。幸せとは何でしょうね?

明日は,先月末からスタートした主に社会人の方を対象にした「土曜日限定 やり直し中学英語 読解・音読教室」 があります。

浦和英語塾のホームページでも来週には詳細をアップしますので,興味のある方はぜひお問い合わせください。

2013/02/08

いがちゃん

中学のときの友人から,きのう夜電話があった。仕事終わりに軽く一杯?と誘ってくれた。文雄だから「ふみ」と呼んでいるその友人は,ここ数年来,たまに電話をくれるありがたい存在です。

もうひとり,「いがちゃん」を連れてくるという。五十嵐だから「いがちゃん」。いがちゃんとは中学卒業以来の再会になる。

中2の夏,いがちゃんとは,共通の友人の母親の実家がある新潟・柏崎まで,少年3人で列車の旅をしたことがある。

駅弁と一緒に買って窓際に置いた「お茶」の向こうに見える車窓を流れる夏の田舎の田園風景,二人のうちのどちらかが隠し持っていた「峰」,柏崎の田んぼ脇の勢いよく溢れる冷たい井戸水に冷やされるスイカとキュウリ。今でも鮮明に記憶に残る。

井上陽水の「少年時代」を聴いたり歌ったりするたびに,頭の隅に,あの34年前の光景が広がっていた。

ところが,いがちゃん。全然覚えてないって言うの。 ありえへん。

あれは幻だったのか。

いや,そうではない。それは,いがちゃんがもう...「おじいちゃん」だからだ。

うれしそうに,1歳になる,めっちゃかわいい孫の女の子の写真を見せてくれた。これまた,ありえへん(笑)。 スバラシイ。

ふみ,いがちゃん,また飲(や)ろうね。

2013/02/06

ブログの裏側

ほんのひと月と少し前までのことを考えると,こうやって望み通りにブログを更新できていることが,ほんとに有難いことだと思う。まだまだ慣れずに,ときとして生みの苦しみを感じる場面もあった。

何を大袈裟なことを言っているのか,と自分でも思うが,その大袈裟さは,例えて言うなら,運転免許を取ったばかりの子が,近所をひと周り運転してきただけで,ひどく興奮して喜んでいる姿に似ているかもしれない。

昨年の夏頃から,ブログをやらなくっちゃ! やってみたい! と,あちこちのブログ運営サイトを訪ねては,その「ブログの裏側」を覗くたびに,茫然自失,五里霧中,手も足も出ない状況が約半年も続いていた。

ブログの裏側というのは,「闇の部分」という意味ではなく, 「管理画面」のことである。こんなことすら知らずにいたナイーブな私にとって,ブログのまさに闇の部分に光を当ててくれたのがパソコン学舎の小野さんでした。

先日,この経緯を 「マイベストプロ埼玉」 という朝日新聞がおススメする専門家サイト内の「みんなの声」に投稿させてもらったので,興味のある方はぜひご覧になってくださいね。

きっと,私のように,個人事業主で,シンプルなホームページやブログを作りたい,それを自分で更新していきたい,予算もそんなにかけられない,パソコン歴は長いがホームページやブログの知識はゼロ,話をよく聞いてくれた上で的確なアドバイスがほしい,職場まで来て教えてほしい,などと思っておいでになる方は,たくさんいらっしゃると思うので,何かのきっかけになればと思います。私の場合は,小野さんが見事に解決してくれました。

英語教育の世界で,私も光の存在になれるように,精進していかなければですね。素敵な出会いを,また次の出会いに繋げていけたらと思います。


2013/02/05

スラスラ感 〜 清水かつぞー先生

私が私淑する國弘正雄さんの著書 『國弘流 英語の話し方』(たちばな出版,1999)の中で,清水かつぞー先生が,毎年4月に予備校の教え子に渡すプリントについて紹介されています。

残念ながら,清水先生はすでにお亡くなりになっていますが,「英単語ピーナッツほどおいしいものはない」の著者としてもとても有名な方です。

以下その一部からの引用です。
わからない単語が一ページに十もあり,一つひとつ辞書を引く。そのあとで一所懸命にノートに日本語訳をでっちあげる。授業中に教師が言う訳を参考にして,自分の訳を訂正する。文法的な説明その他もノートする。家に帰って,少し復習して,それでおしまい。次の週も同じように予習して,同じように授業を受ける。
もし君が英文解釈でこうした勉強法をしていたら,残念ながら,長文を何題やろうが,何年勉強しようが,あまり実力はつかないだろう。残酷なようだが本当だ(もちろん、全然無駄とは言わない)。

英文解釈の勉強とは,スラスラわかる英文を一つひとつ作りあげていくことなのだ。
「スラスラ感」を味わうには,地道に音読を繰り返すという復習が欠かせない。ほとんどの生徒はそこを逃げようとする。いや,そのことに気づきもしない。教師もその点をしつこく言わない。復習は各自がやることが建前なのだ。
最初から量を焦ってはいけない。「スラスラ感」さえ獲得すれば,量はあとから,あっという間についてくる。
よろしいか。最初の十題がスラスラ読めるようになるのに二百時間かかったからといって,その十倍の百題をスラスラ読めるようになるのに同じ十倍の二千時問かかるということはないのだ。最初の一題は本当に涙が出るほどつらい。しかし,そこは覚悟を決めてクタクタになるほど復習したまえ。 Believe me!

これまでは,英文理解が学習の目的であって,音読はその 「復習」 に過ぎなかったが,これからは,音読のスラスラ感を得ることを学習の目的とし,英文理解はそのための 「予習」 と位置づけてみる発想の転換が必要だということなのだろうと思います。



2013/02/01

ハッピーロード

今日は父の命日。

私は父が30歳の時の子なので,父が今の私の年齢の時,私は18歳だったのか,などと考えながら,しばらく墓前で時間を過ごした。

三船敏郎の「男は黙ってサッポロビール」というコマーシャルを地でゆくような,子どもの前では口数の少ない父だった。母とは実際,サッポロビールの社内恋愛だったりするので,実は結構,父もコマーシャルに影響されたりして。まぁ,そんなことはないか。せっかくビール会社で働いていたのに,お酒は一滴も飲めなかった父である。 

親戚が集まると,一転してサービス精神を発揮して,周りを笑わせていたっけ。途中で必ず「子育て論」をぶって,うちは放任主義。子どもには「人様には迷惑をかけるな。あとは好きなことをやれ!」が口癖だった。今思えば,きっと間接的に兄と私に聞かせていたのだろうなあ。

外国人を父に紹介すると 「マイ・ネーム・イズ・ハッピーロード」と,お決まりのセリフを口にしてはおどけていた父,幸道。

あの世でもちゃんとハッピーロードを歩んでくれているだろうか。




明日は気温が20度近くまで上がりそうですので,くれぐれも体調にお気をつけくださいませ。本日もブログにお越しいただきありがとうございました。

Tomorrow's temperature is expected to rise up to 20°C.  So, please take good care of yourself in this sudden change of tempreture!