2020/08/23

while taking a walk

 
9 km walking in the park

奇跡の4位入賞


SUBARU MOTORSPORT MAGAZINE

自分のペースを守って,ただこつこつと目標に向かって進むだけ。
周りに合わす必要ない,周りはあなたではないのだから。
無理せず,急がず,はみ出さない,力まず,ひがまず,いばらない。
(千日回峰行2度 満行の大阿闍梨・酒井友哉さんの言葉)


2020/08/19

walk in the Park

 

a walk in the park たやすいこと,朝飯前のこと

: a thing that is very easy to do or deal with(OALD) 

「公園の中の散歩」から転じて「楽にできること」という意味のイディオムにもなります。同じような意味で a piece of cake もよく使われます。

Let's take / go for / have a walk in the park.
(公園に散歩に行こう)

The next game will be a walk in the park.
(次の試合は楽勝だよ)

公園にはさまざまな人たちがいて,なかには脳梗塞や高齢者などのリハビリを目的として,ゆっくりと,懸命に,歩いている人たちもいます。決して「たやすいこと」ではないのです。ですから,表題の意味で使う場合は,以下の文例の使い方に限るようしてください。

I know it's no walk in the walk.
(決して簡単なものではないとわかってますよ)

2020/08/09

Nagasaki Peace Declaration

田上 長崎市長 長崎平和宣言(一部抜粋)


私たちのまちに原子爆弾が襲いかかったあの日から,ちょうど75年。4分の3世紀がたった今も,私たちは「核兵器のある世界」に暮らしています。どうして私たち人間は,核兵器をいまだになくすことができないでいるのでしょうか。


Exactly 75 years have passed since the dayour city was assaulted by a nuclear bomb. Despite the passing of three quarters of a century, we are still living in a world where nuclear weapons exist. Just why is it that we humans are still unable to rid ourselves of nuclear weapons?


人の命を無残に奪い,人間らしく死ぬことも許さず,放射能による苦しみを一生涯背負わせ続ける,このむごい兵器を捨て去ることができないのでしょうか。


Are we truly unable to abandon these dreadful weapons that so cruelly take lives without even allowing for dignified deaths and force people to suffer for entire lifetimes as a result of radiation?


新型コロナウイルス感染症が自分の周囲で広がり始めるまで,私たちがその怖さに気づかなかったように,もし核兵器が使われてしまうまで,人類がその脅威に気づかなかったとしたら,取り返しのつかないことになってしまいます。


<If, as with the novel coronavirus which we did not fear it until it began spreading among our immediate surroundings, humanity does not become aware of the threat of nuclear weapons until they are used again>, we will find ourselves in an irrevocable predicament.


若い世代の皆さん。 新型コロナウイルス感染症,地球温暖化,核兵器の問題に共通するのは,地球に住む私たちみんなが「当事者」だということです。 あなたが住む未来の地球に核兵器は必要ですか。 核兵器のない世界へと続く道を共に切り開き,そして一緒に歩んでいきましょう。


Young people of the world; The novel coronavirus disease, global warming and the problem of nuclear weapons share one thing in common, and that is that they affect all of us who live on this Earth. Are nuclear weapons necessary for the world of the future that you will live in? Let us clear a path to a world free of nuclear weapons and walk down it together.



2020/08/08

"The boy standing by the crematory"

なにかの巡り合わせか。

毎年この時期,塾生の誰かが必ず,このレッスンに当たる気がしてなりません。今日もそうでした。

アメリカの従軍カメラマン,故ジョー・オダネル氏が,原爆投下後の長崎で,すでに亡くなっている幼子を背負い,下唇をぎゅっとかみしめて焼き場に立つ 少年の写真についてのインタビュー記事。


下の映像は "NPT Snapshot" という Nashville Public Television の番組。

同じ NTP と言えば,

核不拡散条約(Nuclear Non-Proliferation Treaty)の発効から,今年で50年という節目の年。「核保有国をこれ以上増やさないこと」,「核軍縮に誠実に努力すること」を約束した人類にとって大切な条約。




明日9日は 長崎原爆の日。
原爆投下から今年で75年。



2020/08/06

吉永小百合編『第二楽章 ヒロシマの風』より



原爆
The Atomic Bomb

私は七つ,妹は三つ,
そしてお父さんは
北支のどこかで
戦争をしているということで,
ずいぶん 前からたよりがなかった。

 I was seven, my little sister three.
 I was told our father was
 somewhere in Northern China
 fighting in the war.
 We had not heard from him for a very long time.

母は
あの日
きんろうほうしで
町に きょうせいたちのきのあとしまつに
出ていた。

 Our mother was in the town
 on that day
 on her duty
 as a civil volunteer
 to help clean up
 after the building were demolished.

私は,
家の近くの会館で,
皆んなと勉強していた。

 I was studying with my friends
 in the town hall near our house.

午前八時十五分
その時
原爆はうつくしいひかりにみちて
かがやきにあふれて
おちてきた。

 It was eight fifteen in the morning
 when the atomic bomb descended upon us
 filling the whole sky with a strong flash and a sparkle.

窓ガラスがやぶれて
床にちらばっているなかを
私は家にかけて帰った
なにかしらないが
おそろしいものにおわれて
たまらなく花のふところが
こいしかったからだとおぼえている

 I ran and ran back home
 through the broken window glass scattered on the floor.
 Overwhelmed by an inexplicable urge
 chased by something terrible,
 I recall how much
 I longed for my mother's arms.

家では
姉と妹が
へしまがった天井の下で
ほこりだらけのたたみの上にだきあって
すわっていた

 In the house, under the collapsing ceilings,
 my big sister and my little sister
 were hugging firmly each other
 sitting on the dust-covered tatami floor.

それから二時間
全身が焼けただれて
息もたえだえになって
母が帰ってきた。
父がいなくて一家の柱の
たった一人の私達の
母が,

 Two hours later
 with her body all burned
 gasping
 our mother came back
 the pillar of our family after father had gone
 our only mother.

姉は
毎日 どくだみをせんじて 母にのませ
うじのわいている
指のまたのかさぶたをうがしては,
おしろい粉をふった。

 Every single day
 my big sister
 brewed herbs for our mother to drink
 and peeled the scabs from between her fingers
 where maggots had infested
 and applied some foundation powder.

そして それから七年。
いろんなことがあったけれど
私は十三,妹は九つ,
父は戦争で死んでしまって帰らなかったが,
母は
今日も,
あの原爆で不自由な体で
くわをふるっている。

 Seven years have passed since then
 a lot has happened.
 I am thirteen, my little sister is nine
 our father died in the war and never returned
 but our mother
 with her body badly damaged by the atomic bomb,
 plows the field to this day.

原爆はいやだ
それにもまして
父をころし
原爆をおとした
戦争はいやだ。

 I hate the atomic bomb
 I hate the war even more so,
 that killed our father
 that dropped the atomic bomb.

広島市二葉中学校 二年生
山城鈴子

(『原子雲の下より』一九五二)


別所沼公園
埼玉県原爆死没者 慰霊の碑

7 km walking in the park



2020/08/05

21世紀に求められるスキルとは何か?

【備忘録】


日本経済新聞の春秋(8月3日付)で,NHKラジオ『実践ビジネス英語』の寸劇(ビニエット)が 紹介されています。

舞台はニューヨーク。グローバル企業の社員たちは,「21世紀に求められるスキルとは何か?」というテーマでやり取りしている。

広報担当マネージャーは,「批判的思考力コミュニケーション力協調性 ですね」とまとめる。これらは可視化や数量化が難しいソフトスキルと呼ばれている。

別の人が,経済の変化が速まっている今,「環境に適応し柔軟に対処できること が重要になっている」と賛同する。

また,3つのスキルが備わる人材の不足を嘆く声もある,としています。



『21 Lessons for the 21st Century』(邦題「21世紀の人類のための21の思考 21 Lessons」)の 教育 (Education) の項で,「私たちは何を教えるべきか? (What should we be teaching?)」について,多くの教育の専門家 (many pedagogical experts) が支持する主張が 紹介されています。

「学校は,4つのC (the four Cs),すなわち,批判的思考 (critical thingking),コミュニケーション (communication),協働 (collaboration),創造性 (creativity) を教えることに 方針を切り替えるべき。」

「学校は,専門的な技術 に重点を置かず (should downplay technical skills),汎用的な 生活技能 を重視すべき (should emphasize general-purpose life skills)。」

「なかでも最も重要なのは(Most important of all will be the ability),変化に対処し (to deal with change),新しいことを学び (to learn new things),未知の状況下でも 心の安定を保つ (to preserve your mental balance in unfamiliar situations) 能力になるだろう。」としています。