2025/10/30

歎異抄

第一条 冒頭の一節

 
 あるとき、親鸞さまは、こう言われた。

 すべての人びとをひとりのこらずその苦しみから救おうというのが、阿弥陀仏という仏の特別の願いであり、誓いである。

 その大きな願いに身をゆだねるとき、人はおのずと明日のいのちを信じ、念仏せずにはいられない心持ちになってくる。そして「ナムアミダブツ」と口にするその瞬間、わたしたちはすでにまちがいなく救われている自分に気づくのだ。

 この阿弥陀仏のたてられた誓いに、差別はない。その約束は、老人にも若者にも幼子にもなんの区別なく、また世間でいう善人、悪人にも関係がない。ただ一つ、ひたすら信じる心こそ大事なのだとしっかり心得なさい。

 阿弥陀仏の本願というのは、この世で悩み苦しみ、そして生きるために数々の罪を犯しているわたしたちをたすけようという、真実の願いからたてられた約束である。

 その約束を信じるならば、ほかのどんな善行とよばれるものも必要ではない。念仏、すなわち仏の誓いを信じその願いに身をまかせてナムアミダブツととなえることこそ、究極の救いの道だからである。

 自分の愚かな心や、邪悪な欲望や、犯した罪の深さに怖れおののくことなどないのだ。阿弥陀仏のちからづよい願いと誓いのまえには、その光をさえぎる悪などありはしないのだから。


五木寛之 訳「歎異抄手帳」(東京書籍)より