2024/07/31
2024/07/30
2024/07/29
2024/07/28
中学英語
Keep away from people who try to belittle your ambitions. Small people always do that, but the really great make you feel that you too can become great.
夢をけなす人間には近づくな。大したことのない人間ほど、人の夢にケチをつけたがるものだ。真に偉大な人間は、夢を成し遂げられるのだと思わせてくれる。
― Mark Twain
【一口メモ】
2024/07/27
Paris 2024 Olympics opening ceremony
2024/07/26
2024/07/24
2024/07/22
2024/07/21
2024/07/20
" 学ぶことは、自分が人間として今ここで生き、存在しているということと分かちがたく結びついている。しかしその学びは、決して完成しない。ひとたび完成したならば、次なる完成に向けて自分自身を作り替えながら学んでいかなくてならないから。その意味では人間とは、「途上の存在」にほかならず、常に道半ばなのである。学ぶことは、自分を作り替えることであり、世界を作り替えること。今このことを感覚できれば、それが一生の力になるだろう。"
小林康夫「学ぶことの根拠」『何のために「学ぶ」のか』(ちくまプリマ―新書)
2024/07/19
2024/07/18
英語学習についての問題意識
" 訳読中心の学習法を批判することは戦後の流行である。しかし、批判者は 新しい学習法として何を打ち出したのであろうか。「英語で考えよ」と言われ る。だが、方法を教えずにただ考えよと言ったところで絵に描いた餅にすぎ ない。「直読直解」と言われる。たしかに読むに従って分かるのは理想であ る。しかし、それはどのような頭の働きなのか、何を手がかりとし、どのよ うな習練を積めばその域に到達しうるかの具体的道程を示さずに、念仏のよ うに直読直解を唱えたところで初心者には何の助けにもならない。「多読が重要である」と言われる。だが、そもそも読むことができない者に多読と言ったところで、それは多くを読んでいるのではなく多くを誤解しているにすぎ ない。誤解の集積がどのような過程で正しい理解に転化しうるかの説明は聞 けないのである。訳読法批判の結果、現実には我々は方法以前、つまり、「読書百遍、義おのずから通ず」の域に退行したのではないだろうか。最近の文法軽視の傾向と相まって、現在の英語教育の成果はかつての訳読中心時代のレベルにも達していないのではないかとの危惧を筆者は抱かざるをえないのである。"
伊藤和夫『英文解釈教室』はしがき より
2024/07/16
2024/07/15
2024/07/14
1.3 (S+S)+VThe regularity of his daily walk, taken during the afternoon in all weathers, and the strict limitation of the hours of rest helped the soundness of his sleep.[訳]どんな天候でも毎日午後になると規則正しく散歩したことと、休息の時間を厳格に制限したことが彼の熟睡を促進した。
2024/07/13
2024/07/12
2024/07/11
way to happiness
There is only one way to happiness and that is to cease worrying about things which are beyond the power of our will.
幸福への道は一つしかない。それは自分の力ではどうにもならないことについて悩むのをやめることである。
Epictetusエピクテトス
2024/07/10
2024/07/09
東大英語リーディング 多元化する世界を英語で読む
" 学生諸君には辞書を引く手間をかけてもらう。スマホで手軽に検索というのではなく、しっかりした大辞典クラスの辞書に日頃から慣れ親しんでほしい。"(PREFACEより)
#浦和英語塾 シラバス (教材編)
2024/07/08
新版『夜と霧』(みすず書房)
出版社より
〈わたしたちは、おそらくこれまでのどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。では、この人間とはなにものか。人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ〉
「訳者あとがき」より
... 受難の民は度を越して攻撃的になることがあるという。それを地でいくのが,二十一世紀初頭のイスラエルであるような気がしてならない。フランクルの世代が断ち切ろうとしていて果たせなかった悪の連鎖に終わりをもたらす叡知が、今、私たちに求められている。そこに、この地球の生命の存続は懸かっている。...
2002年9月30日池田佳代子
2024/07/07
2024/07/06
2024/07/05
2024/07/04
2024/07/03
New Banknotes
2024/07/02
『弱さのちから』(亜紀書房)
" 先行きが見えない日々、私は幾度かミヒャエル・エンデの『モモ』(大島かおり訳)にある一節を思い出していた。
モモは脅威となっている「灰色の男たち」から逃れようとする。だがふと,これまで「逃げまわったのは,じぶんの身の安全をはかってのことで」あり,また「じぶんのよるべないさびしさや,じぶんの不安のことだけで頭をいっぱいにしてきた」ことにも気が付く。あまりに利己的であることに気が付いた途端,どこからともなくモモにまったく違う現実を照らし出す光が訪れる。本当に危険が迫っているのは,自分だけでなく,仲間たちであることをまざまざと感じ始める。そうした場面で,この物語の読者は次のような言葉に出会う。
そこまで考えてきたとき,モモはきゅうにじぶんのなかにふしぎな変化がおこったのを感じました。不安と心ぼそさがはげしくなってその極にたっしたとき,その感情はとつぜんに正反対のものに変わってしまったのです。不安は消えました。勇気と自信がみなぎり,この世のどんなおそろしいものがあいてでも負けるものか,という気もちになりました。というよりはむしろ,じぶんにどんなことがふりかかろうと,そんなことはちっとも気にかからなくなったのです。
ここに描かれている出来事こそ,「弱さのちから」にほかならない。ある人たちはそれを「愛」「慈悲」あるいは「利他」という言葉で呼ぶこともある。"
若松英輔