若松英輔
" 先行きが見えない日々、私は幾度かミヒャエル・エンデの『モモ』(大島かおり訳)にある一節を思い出していた。
モモは脅威となっている「灰色の男たち」から逃れようとする。だがふと,これまで「逃げまわったのは,じぶんの身の安全をはかってのことで」あり,また「じぶんのよるべないさびしさや,じぶんの不安のことだけで頭をいっぱいにしてきた」ことにも気が付く。あまりに利己的であることに気が付いた途端,どこからともなくモモにまったく違う現実を照らし出す光が訪れる。本当に危険が迫っているのは,自分だけでなく,仲間たちであることをまざまざと感じ始める。そうした場面で,この物語の読者は次のような言葉に出会う。
そこまで考えてきたとき,モモはきゅうにじぶんのなかにふしぎな変化がおこったのを感じました。不安と心ぼそさがはげしくなってその極にたっしたとき,その感情はとつぜんに正反対のものに変わってしまったのです。不安は消えました。勇気と自信がみなぎり,この世のどんなおそろしいものがあいてでも負けるものか,という気もちになりました。というよりはむしろ,じぶんにどんなことがふりかかろうと,そんなことはちっとも気にかからなくなったのです。
ここに描かれている出来事こそ,「弱さのちから」にほかならない。ある人たちはそれを「愛」「慈悲」あるいは「利他」という言葉で呼ぶこともある。"
若松英輔