高橋善昭先生(元駿台予備学校 英語科主任)のことば
英文を読んで、その意味が分からないとき、多くの人は「どうしてだろうか」と考えます。しかし、分かるときに、「どうしてだろうか」と考える人は多くありません。皆さんには、分かるときも分からないときも、「どうしてだろうか」と考えていただきたいのです。
一見、自明に思える事柄についてでも、「どうして」と考える。これが学問の出発点ですし、言語現象という客観世界を正しく認識するための基本でもあります。
※ 今では絶版となっている『必修 英語構文』の付属CDの中で、高橋善昭先生が語られている言葉です。
「質問はありますか?」「何か曖昧なところや、確認しておきたいことはありますか?」と尋ねても、「特に大丈夫です」と答える生徒がいます。
しかし、こちらからいくつか質問すると、すぐに答えられなかったり、考えたこと自体がなかったりすることがあります。
質問がないのは、本当に理解しているからとは限りません。自分の理解を、まだ点検できていないという場合も少なくないのです。
「どうしてだろうか」と自分に問いかけて初めて、本当に理解していることと、まだ曖昧なことが見えてくるのです。
だからこそ、「分かるときも『どうしてだろうか』と考える」という高橋先生の言葉は、本当の理解への第一歩を示しているのだと思うのです。