2026/05/25

訳読中心の学習法を批判することは戦後の流行である。しかし、批判者は新しい学習法として何を打ち出したのであろうか。

「英語で考えよ」と言われる。だが、方法を教えずにただ考えよと言ったところで絵に描いた餅にすぎない。

「直読直解」と言われる。たしかに読むに従って分かるのは理想である。しかし、それはどのような頭の働きなのか、何を手がかりとし、どのような習練を積めばその域に到達しうるかの具体的道程を示さずに、念仏のように直読直解を唱えたところで初心者には何の助けにもならない。

「多読が重要である」と言われる。だが、そもそも読むことができない者に多読と言った所で、それは多くを読んでいるのではなく多くを誤解しているにすぎない。誤解の集積がどのような過程で正しい理解に転化しうるかの説明は聞けないのである。

訳読法批判の結果、現実にはわれわれは方法以前、つまり、「読書百遍,義おのずから通ず」の域に退行したのではないだろうか。最近の文法軽視の傾向と相まって、現在の英語教育の成果はかつての訳読中心時代のレベルにも達していないのではないかとの危惧を筆者は抱かざるをえないのである。


伊藤和夫『英文解釈教室』より