慰霊の日(6月23日),沖縄全戦没者追悼式にて。
相良倫子さん 「平和の詩の朗読」より。
生きる
湊川中学校3年 相良倫子
私は,生きている。
マントルの熱を伝える 大地を踏みしめ,
心地よい湿気をはらんだ風を 全身に受け,
草の匂いを鼻孔に感じ,
遠くから聞こえてくる潮騒に 耳を傾けて,
私は今,生きている。
私の生きるこの島は,何と美しい島だろう。
青く輝く海,
岩に打ち寄せ しぶきをあげて光る波,
山羊のいななき,
小川のせせらぎ,
畑に続く小道,
萌出づる山の緑,
優しい三振の響き,
照りつける 太陽の光。
私はなんと美しい島に,生まれ育ったのだろう。
ありったけの私の感覚器で,感受性で,
島を感じる。
心がじわりと熱くなる。
私は この瞬間を,生きている。
この瞬間の 素晴らしさが,
この瞬間の 愛おしさが,
今という安らぎとなり 私の中に広がりゆく。
たまらなく込み上げるこの気持ちを どう表現しよう。
大切な今よ。 かけがえのない今よ。
私の生きる,この今よ。
七十三年前,
私の愛する島が 死の島と化したあの日,
小鳥のさえずりは,恐怖の悲鳴と変わった。
優しく響く三線は,爆撃のとどろきに消えた。
青く広がる大空は,鉄の雨に見えなくなった。
草の匂いは,死臭で濁り,
光り輝いていた海の水面は,戦艦で埋め尽くされた。
火炎放射器から噴き出す炎,
幼子の泣き声,
燃えつくされた民家,
火薬の匂い,
着弾に揺れる大地,
血に染まった海,
魑魅魍魎の如く 姿を変えた人々,
阿鼻叫喚の 壮絶な戦の記憶。
みんな 生きていたのだ。
私と何も変わらない,懸命に生きる 命だったのだ。
彼らの人生を,それぞれの未来を,
疑うことなく 思い描いていたんだ。
家族がいて,仲間がいて,恋人がいた。
仕事があった。
生きがいがあった。
日々の 小さな幸せを喜んだ。
手をとり合って生きてきた。
私と同じ,人間だった。
それなのに,壊されて,奪われた。
生きた時代が違う,ただそれだけで。
無辜の命を,
当たり前に生きていた あの日々を。
摩文仁の丘,
眼下に広がる 穏やかな海,
悲しくて,忘れることのできない この島の全て。
私は手を強く握り,誓う。
奪われた命に思いを馳せて,心から誓う。
私が生きている限り,
こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を
絶対に許さないことを,
もう二度と過去を未来にしないこと。
全ての人間が,国境を越え,人種を越え,
宗教を越え,あらゆる利害を越えて,
平和である世界を目指すこと,
生きること,
命を大切にできる権利を 誰からも侵されない世界を創ること,
平和を創造する努力を いとわないことを。
あなたも 感じるだろう,この島の 美しさを。
あなたも 知っているだろう,この島の 悲しみを。
そして,あなたも,私と同じ このときを,
一緒に生きているのだ。
今を一緒に,生きているのだ。
だから,きっとわかるはずなんだ。
戦争の無意味さを,本当の平和を,
戦力という愚かな力を持つことで,
得られる平和など,本当は無いことを。
平和とは,当たり前に生きること,
その命を精一杯輝かせて,生きることだということを。
私は,今を生きている,みんなと一緒に。
そして,これからも生きていく,
一日一日を大切に,平和を想って,平和を祈って。
なぜなら,未来は,この瞬間の延長線上にあるからだ。
つまり,未来は,今なんだ。
大好きな 私の島。
誇り高き みんなの島。
そして,この島に生きる すべての命。
私と共に今を生きる 私の友,私の家族。
これからも 共に生きてゆこう。
この青に囲まれた 美しい故郷から,真の平和を発信しよう。
ひとり一人が立ち上がって,みんなで未来を 歩んでいこう。
摩文仁の丘の風に吹かれ,私の命が鳴っている。
過去と現在,未来の共鳴。
鎮魂歌よ,届け! 悲しみの過去に。
命よ,響け! 生きゆく未来に。
私は今を,生きてゆく。
アメリカ軍普天間基地の辺野古移設に強く反対していた翁長知事が8日,すい臓がんのため亡くなりました。心よりご冥福をお祈りいたします。
(上記は私が書き起こしたものです。仮名遣いや改行については相良さん本人の意向と異なっているかもしれませんがご容赦ください。)