ぎらりと光るダイヤのような日
茨木のり子短い生涯とてもとても短い生涯六十年か七十年かお百姓はどれほど田植えをするのだろうコックはパイをどれ位焼くのだろう教師は同じことをどれ位しゃべるのだろう子供たちは地球の住人になるために文法や算数や魚の生態なんかをしこたまつめこまれるそれから品種の改良やりふじんな権力との闘いや不正な裁判の攻撃や泣きたいような雑用やばかな戦争の後始末をして研究や精進や結婚などがあって小さな赤ん坊が生まれたりすると考えたりもっと違った自分になりたい欲望などはもはや贅沢品になってしまう世界に別れを告げる日にひとは一生をふりかえってじぶんが本当に生きた日があまりにすくなかったことに驚くだろう指折り数えるしかないその日々の中の一つには恋人との最初の一瞥のするどい閃光などもまじっているだろう〈本当に生きた日〉は人によってたしかに違うぎらりと光るダイヤのような日は銃殺の朝であったりアトリエの夜であったり果樹園のまひるであったり未明のスクラムであたりするのだ