2013/01/11

冷たい風に頬をさらしなさい。


年末年始は昔懐かしい顔に出会う機会が増えるもの。中高の頃の友人とは忘年会で,そして今週末には大学の頃の友人との新年会がある。昔懐かしいと言っても,ここ数年は季節ごとに集まっている。それがまたうれしい。

一昨年の震災で卒業式の中止を余儀なくされた高校の校長が卒業生に送ったメッセージが反響を呼んで出版された渡辺憲司著『時に海を見よ』(双葉社)に続く『海を感じなさい』(朝日新聞出版)の中に収められた10編の「魂のメッセージ」のうちの友情についての一編を紹介したい思います。

本の印税は東日本大震災で被災された若者への義援金として全額が寄付されるという。ぜひ書店やインターネットなどを通じで購入されてはいかがでしょうか。中高生に,いや新成人,大学生,社会人を問わず大切な人に贈る一冊としてもふさわしい。

友情とは
冷たい風に頬を差し出してみなさい。
冬の海原を渡る風に頬をさらし,
沈黙を腹に落とし込むのだ。
そして,友の顔を思い浮かべてみるといい。
これまで,君には,助けた友がいたか。
君を助けてくれた友がいたか。
友情とは何だ?
もたれ合い,群れるのが友情ではない。
趣味の合う同好の士とも違う。
互いに,一人であることを分かり合うのが友情である。
互いに孤独であることを深く理解し合っているのが,真の友だ。
偶然が本能に火をつける恋愛関係とも明らかに違う。
友情は理性が築く。
自分とは違うものをもつ相手を,理性的に意志的に選ぶ。
それが友だ。
だから,友情はときに冷たさを見せる。
あるときは,「それは間違ってる」と正面切って批判もする。
「君とは一緒に行けないよ」と道を分かつこともある。
しかし,それでも友情は残る。
そこにあるのは,けっして残りかすのような友情なんかじゃない。
批判や離反も含めたまるごとの関係が,
友情そのものなのだ。
フランスの詩人ボナールは言う。
「恋愛では信じてもらうことが必要であり,
友情では洞察してもらうことが必要である」と。
君の心を,思いを深く黙視してくれるのが友だ。
「今日,海を見に行ってきたよ」
そうポツリともらしたときに,
黙ってうなずいてくれるのが友だ。
助けるとか助けられるとか,
友情の貸し借りなんてあり得ない。
沈黙を共有し,
互いの孤独をわかり合えるのが友情である。
頬をなぶる冷たい風が
それを教えてくれるはずだ。
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