(元 立教新座中学校高等学校校長)
孤独を見つめることは、青春には不可久な訓練だ。しがらみだらけの、齢を重ねた私などとは違い、君たちはひとりの時間を十分に持つことができるのだ。親からも離れ、さまざまなことを遮断して物事を考え、自分の存在や自分という個の重さを感じて欲しい。
孤独を見つめることは、孤独に追いやられることではない。自分の意思にかかわらず孤独に追いやられれば、淋しさが膨らんでくるだろう。しかし、それと、孤独を見つめるということは、また違ったものだ。「孤独を見つめる」とは、自分が意識して孤独を求めることで、能動的な行動である。
孤独を恐れてはいけない。
近頃の若者(あまり、こういう表現はしたくはないのだが)は、ひとりでいることを怖がる傾向があるようだ。いつも誰かとつながっていなくては不安にもなるようで、携帯電話が手放せない者も多いと聞く。
彼らの気持ちもわからなくはない。人と一緒にいる。それは、時として非常に大事なことである。
しかし、常に人と群れている必要はない。ひとり黙々と弁当を食べていてもいいではないか。「暗いヤツと思われないだろうか」などと気に病むことはない。人目を気にする者も少なくないが、他のヤツの目を気にすることなく、堂々と孤独を見つめて欲しいと思う。