2013/12/25

Happy Xmas

いつもお世話になっている美容室から season's greetings card が届きました。よく見るとギター・コードがついている。メロディーも浮かんできました。

 
  
War is over if you want it. 


2014.12.23.
ジョギング 3km,累計 11km。

2013/12/22

財布を持たずに神田まで

朝の,明るい日差しあふれる公園は,さすがに気持ちのいいものです。西の空には少し欠けた月,東の空には生まれたばかりの太陽。まさに,明るいの「明」という文字通りの風景の中,8日ぶりのウォーキング&ジョギングでした。

午後からは,きのうに引き続き,再度,神田の三省堂へ。取り置いてもらった教科書を取りに行ってきました。

suicaやiD決済で事足りてしまっていると,たとえ自宅に財布を忘れていても,案外その事に気づかなかったりする。支払いカウンターで,いざ財布をという段になって,焦ってバックパックの中を探しまくったという経験はありませんか。ありませんよね。

御茶ノ水・神田駿河台あたりは昔から好きな場所ですから,よしとしましょうか。


ジョギング 2km。

2013/12/18

グランドキャニオン あなたへ

兵庫の竹田城跡が大変なことになっているらしい。“天空の城”とか“日本のマチュピチュ”とか呼ばれている,あの城跡である。

僕が武田城跡を初めて知ったのは,昨年公開された高倉健主演映画「あなたへ」の中のシーン。宮沢賢治「星めぐりの歌」を唄う田中裕子と高倉健が再開するシーンの舞台になっていた。「こんな場所が日本にあったのか」と,おそらくあの映画を見た人は誰もが思ったことだろう。


写真提供 吉田利栄(朝来市フォトギャラリーより)

ところが,今では,至るところに立ち入り禁止の看板が立てられ,石垣の縁にはロープが張り巡らされて,以前の景観は見る影もない。

先月,ある男性(36歳,アルバイト)が石垣から誤って転落し,腰の骨を折る重傷を負った事故によるもだという。

市の担当者の方へのインタビューを目にしたが,なるほど,担当者の立場になってみれば,現在の社会風潮からして,致し方ないことなのかもしれないと思った。

以下は,手元にある本の「まえがき」の冒頭部分からの引用です。
米国アリゾナ州北部に有名なグランド・キャニオンがある。... ある日,私は現地へ行ったみた。そして,驚いた。...
国立公園の観光地で,多くの人々が訪れるのにもかかわらず,転落を防ぐ柵が見当たらないのである。しかも,大きく突き出た岩の先端には若い男女がすわり,戯(たわむ)れている。 ... 日本だったら柵が施され,「立入厳禁」などの立札があちこちに立てられているはずであり,...
日本の観光地がこのような状態で,事故が起きたとしたら,どうなるだろうか。日本の公園管理当局は,前もって,ありとあらゆる事故防止策を講ずる。いっていみれば,行動規制である。観光客は,その規制に従ってさえいれば安全だというわけである。
大の大人が,レジャーという最も私的で自由な行動についてさえ,当局に安全を守ってもらい,それを当然ししている。これに対して,アメリカでは,自分の安全は自分の責任で守っているわけである。
なぜ,日本の社会は,このように規制を求める社会なのか。
断っておくが,私は,規制を求める社会が間違っている,というのではない。社会のあり方の問題としては,正しいとか間違いとかいうものはない。日本には歴史と伝統に基づく社会のあり方がある。
日本の社会は,多数決ではなく全会一致を尊ぶ社会である。全員が賛成してことが決まる。逆にいえば,一人でも反対があれば,事が決まらない。
こういう社会であくまで自分の意見を主張するとどうなるか。事が決められず,社会は混乱してしまう。社会の混乱を防ぐには,個人の意見は差し控え,全体の空気に同調しなければならい。同調しないものは村八分にして抑えつける。その代わり,個人の生活や安全はムラ全体が保障する。社会は個人を規制し,規制に従う個人は社会と安全が保証される,という関係だった。...
これは,約20年前に出版された小沢一郎さんの「日本改造計画」という本。今では,政治的にすっかりほされちゃった感がありますが,「自己責任」について,みんなで考えてみようということについて,僕は大賛成。

ちなみに,この本の中で小沢さんが主張しているのは,政治のリーダーシップの確立(責任の所在の明確化,脱官僚),地方分権,規制改革のこと。

今日,江田憲司さんを党首に「結の党」が旗揚げしましたが,政権担当能力のある一大勢力を結集しなければならないとし,脱官僚,脱原発,地方主権,規制改革を目指すと言っていました。何がどう違うのやら。

シラけムードも漂っていますが,今の大人が政治に無関心になっては,これからの子どもたちにはあまりに無責任。いやでも注目していかないといけませんね。

そうそう,グランドキャニオンは思い出深い場所で,確かに危なっかしかったなー(手前の写真)。


おまけ

映画「あなたへ」が公開された翌日,高倉健さんはロケ地として協力を受けた富山刑務所を再訪した。その時に声を詰まらせながら言った言葉。
「あなたへ」は,人を思うことの大切さ,そして思うことの,切なさにもつながると思います。




2013/12/15

黒根岩風呂 〜 下田・了仙寺 〜 だるま山


  



 

 
達磨山キャンプ場からの展望」 案内板より
 昭和14年に開催されたニューヨーク万国博へ,ここから撮影した高さ2.7m,巾32.7mに及ぶ第パノラマ写真が,日本政府より出品され大絶賛を博しました。
これは,日本を代表する富士山を世界に紹介するために企画されたもので,当時,指名を受けた六桜社(現さくらフィルム)の技師が,日本一の富士山の展望地を探すため,駿河,甲州,信州など富士山の見える回りを一巡し,最終的にこの地を選んだといわれています。  

2013/12/14

冬将軍




東北から北陸にかけて冬将軍が居座り大雪で大変なことになっている。対照的だ。
ジョギング 2km。

2013/12/11

 
さいたまシティーマラソンまで 95日
ジョギング 1km

2013/12/10

無題

近所の公園のジョギングコースには,いろいろな人たちが集まり,思い思いに散歩やジョギングを楽しんでいます。

季節の移ろいを感じながら,のんびり散歩している人もいれば,イヤホンから流れる英語や中国語の音声を聞きながら,小声で発声しながら歩いている人も,腰痛や骨折後のリハビリのために歩いている方もいます。

トレーニングウェアに身を包み,健康や美容のためにウォーキングしている人や,ラップタイムや心拍数に気遣いながら,見るからに本格的にランニングしている人もいます。

実は,いずれも,その時どきの私自身のことでもあったりします。

広い意味で同じような気持ちで集まる人たちの中に,自分の身を置いてみると,特有の安心感や心地よさも湧いてきます。

年齢層もまちまちです。時間帯によって多少の違いはありますが,ちびっ子からお年を召された方まで,学年や年齢による区分は全く意味がありません。

晴れの日も曇りの日も,暑い日も寒い日もありますし,気持ちが充実している日もあれば,多少すぐれない日もあります。

でも,ここに来さえすれば,とにかく歩いたり走ったりする他ないのですから,それぞれの思いは達成できます。ここに来る前とは,また違った自分がいることに気づくこともあるでしょう

散歩やウォーキングから始めて,フルマラソンに参加できる精神力や体力を身につけるまで,一朝一夕にいくものではありませんが,参加したいという希望がある限り,とにかく散歩やウォーキングから始める他ありません。

誰に強制されているわけでもなく,自分の自由意思でやっているからこその喜びもあります。

自分と対峙して,少しずつ自分に負荷をかけながら,昨日の自分を少しでも乗り越えていく過程を楽しみたいと思います。

自分はひとりじゃない。まわりをみると,まったく知らない人たちからも,ちゃんと勇気をもらっています。

こんな公園のような浦和英語塾にしたいと思いました。

 


2013/12/05

午後4時27分

国立天文台の「各地のこよみ」によると,ここ,さいたま市は,今日が,一年で「日の入りが一番早い日」でした。午後4時27分でした。

日の入りの後,薄明の中,一本の飛行機雲が,東から西へと,橙色に輝きながら飛んで行きました。

今日の近所の公園
 
ちなみに,逆に,次の「日の入りが一番遅い日」は,来年6月24日から7月4日にかけての午後7時2分ということでした。2時間半も違っているのですね。

今日明日から,また日一日と日が伸びていくって知ると,なんだがとても前向きな気分になります!

ついでに,「日の出が一番遅い日」は,1月2日から12日までの間が,6時52分と,もっとも遅くなります。

昼が一番短くなる「冬至」は,おおよそその中間日で,今年は12月22日(日)にあたります。ゆずのご用意をお忘れずに。余計なお世話か(笑)

僕のまわりでも風邪が流行ってきていますので,くれぐれもお気を付けくださいね。今日は最後まで読んでいただき,ありがとうございました。



2013/12/01

神宮外苑

今朝は,都内に所要があったので,
そのついでに,いちょう並木を見に,
神宮外苑に行ってきました。
 
 
国道から明治通りへと快調に進み,
9時から始まる外苑円周道路の交通規制に
十分に間に合うことができました。

黄葉はすでにピークを過ぎていましたが,
たっぷりと敷きつめられた落ち葉が,
都会の真ん中に,
より一層,晩秋の雰囲気を添えていました。
 
 
 
「いちょう祭り」の会期中ということでしたが,
何せ時間が早すぎて,どこも準備中でした。
 
「佐世保バーガー,食べたかったなー」

  


途中,スーツを着た男女の集団を所々で見かけました。

なるほど今日は,
大学3年生への就職説明会の解禁日だったか。

一方,大学4年生の就職内定率は,
多少上向きになっているとは言え,
64%に留まっているといいます。

遊び呆けていた学生にはかける言葉はないが,

頑張ってきたのに結果が出ていない人には,
日々リセットし,常に前向きに,
勇気を奮い立たせ,へこたれないで,
なんとか乗り切ってほしいと願います。


 

2013/11/27

ロジャー・パルバース

宮沢賢治の『雨ニモマケズ』を含む詩編を翻訳した "STRONG IN THE RAIN ~ SELECTED POEMS (Bloodaxe, 2007)" で,ロジャー・パルバースさんが,今年の野間文芸翻訳賞(講談社主催)を受賞しています。
 
9月16日,ロジャー・パルバースさんの出身地ニューヨーク,ジャパン・ソサエティで,その贈呈式が行われました。その詳しい模様についてはこちら(Japan Culture NYC)にあります。
 
野間文芸翻訳賞で,英語が対象言語になるのは,10年ぶり5回目のこと。前回2003年には,村上春樹の「ねじまき鳥のクロニクル」を翻訳したジェイ・ルービンさんが受賞しています。以来10年間に出版された英訳書300冊の中からの選考でした。
 
宮沢賢治作品の翻訳で知られるパルバースさん。
 
「銀河鉄道の夜」や「注文の多い料理店」や「セロ弾きのゴーシュ」などの物語だけでなく,独特の表現満載の賢治の詩もたくさん翻訳してきました。
 
以下は,『修羅』序の冒頭部分ですが,次のように始まります。
 
わたくしという現象は
仮定された有機交流電灯の
ひとつの青い照明です
  (あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せわしなくせわしなく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電灯の
ひとつの青い照明です
  (ひかりはたもち,その電灯は失われ)
 
どうでしょうか。ネイティブの私にとっても,一読しただけでは難解で,パルバースさんのコメンタールと,英訳を読み比べてみてはじめて理解が少しは深まった気がします。
 
日本語と英語(英語と日本語)は,互いが補完し合いながら,両言語同時に鍛えられていきます。
 
ゲーテの言う「外国語を知らないものは自国語についても無知である」がまさに実感できる気がしますね。
 
さて,「雨ニモマケズ」を英訳するとどうなるか。それはまたの機会にします。えっ,^^);/
 

贈呈式のスピーチの中で,パルバースさんが翻訳をする際の最善の方法について語っている箇所を備忘のためにメモしておきます。

「その人になる」
 "Kenji’s poetry is not easy to translate,” says Pulvers. “He uses some Iwate dialect, and he uses some onomatopoeia that he’s made up, which is very tricky for the translator . . .
There’s only one way to translate anything like [poetry], and that is to become the person. I mean it. From the time that I’m translating, I think I’m Miyazawa Kenji. That’s why you should translate only literature you truly worship and love." 
「賢治の詩を翻訳することは簡単なことではありません。賢治は岩手の方言も使うし,彼が創作したオノマトピア(擬音語・擬態語)も使います。オノマトペは,翻訳者泣かせなんです。
詩などの作品を翻訳するには,最良の方法があります。それは,原作者本人になりきることです。本当ですよ。翻訳しているときから,私は,自分を宮沢賢治だと思っているんです。ですから,心から敬愛し大切に思っている作品しか翻訳できないものなのです。」

中央が野間文芸翻訳賞受賞作品
"STRONG IN THE RAIN ~SELECTED POEMS"

旅に出るときには,必ず本を一冊持っていきます。先月の花巻へは,この受賞作品"STRONG IN THE RAIN"を持参するにはしましたが。。。 ^^); 

そういえば,2年半前にボランティアで東北に行った時も,パルバースさんの本だった。あのときは,余震も頻繁にあって,なかなか寝付けずに,懐中電灯の明かりをたよりに寝袋の中で読んでいたっけ。

古今東西の名言200を集めた「英語で味わう名言集」という本でした。以前,紺野美沙子さんと一緒に司会をされていたNHKの番組内容をまとめたもので,「名言」を集めた本の中では一番のおすすめです。


以上,書き連ねてしまいました。「銀河鉄道の夜」,読み返そっと。


2013/11/25

ちゃんと音読してるかな。

今年の7月下旬,都内中高一貫校に通う中1生の保護者の方から,学習相談を受けたいとの旨の連絡があり,来塾していただきました。

中学1年の1学期を終わって,英語がさっぱりわからなくなっていると,保護者の方にとっては見るに見かねてのことでした。

小学校の早い段階から学習塾に通って希望通りの中学校に合格し,それからわずか数ヶ月しか経っていないというのに,親の心配は尽きないものです。

まず授業資料を見せていただきましたが,目を疑いたくなるほど(目を覆いたくなるほど)の膨大な量の補助プリントと問題集。驚いてしまって,しばらく言葉を失ってしまいました。

大切な英語の導入期に,この量のプリントを使って,先生はいったい何を教えようとしているのか。クラス平均も60点そこそこと言っておられた。英語の何を定着させ,2学期へ,次学年へとつなげていきたいと考えておられるのか。

教科書付属のCDも薦められずに当然お持ちではない。覚えるべきとされる単語数は相当の数。音声を伴わずに文脈外で暗記した単語は,すぐに忘れ去られる運命にあるだろう。定期考査のための授業の典型例だと思った。

せっかくの中高一貫の理念は,生徒にとって生かされるものであって,経営上の大人の都合に取って代わるようなことがあってはならないのだと,多少飛躍した考えも頭の中で渦巻いた。暗澹たる思いだった。

保護者の方は入塾を促しているご様子だったが,当の本人はどうやらまだその気にはなれないらしい。無理もない。勉強に疲れてしまっているのだろう。

別の気がかりなこともある。

「英語の先生が,『うちの学校では,検定教科書(なんか)でなく,検定外の(難しい)教科書を使っているんですよ』と言ってました」と本人は言う。

その時に一瞬浮かべた,少し得意気で,まんざらでもない表情が脳裏に焼き付く。

「わかる」ことで満足を得られず,少し「わかならい」ぐらいの方が安心できてしまう。詰め込み型の勉強を強いられてきた生徒にありがちの倒錯した感情だ。

いずれにせよ,私が感じとった複雑な思いを,(保護者の方は察していらっしゃったようだが),ことさら本人に気づかれてははならない。

気を取り直して,「学校の先生はとても熱心にやっているよね。君は成績を上げて,教科書をスラスラっと読めるようになりたいんだよね。だったら,君から親にCDを買ってもらえるようにお願いをして,そのCDをよく聞いて,繰り返し繰り返し音読するといいよ。」と伝えた。

ちゃんと音読しているかな。


『時に海を見よ』(渡辺憲司著)という本があります。この本の中から一ヶ所,まだまだ至らぬ私自身が心に留めておきたい言葉を,備忘のためメモしておくことにします。
学問は,確たる自信を得ることではない。肉体には終わりがある。しかし,学ぶ姿勢に終わりはない。学ぶことの第一目的は,知識を得たその結果ではなく,知らないことを探していくことである。学び問い,未知の世界を広げるのだ。
教育とは共に学ぶことである。教えながら,同時に学ぶのである。自らが学ぶ姿勢を持ち,知識に謙虚であることは教師の必須条件である。
誤りを叱ってはならない。誤ることが次への第一歩であることを学ぶのだ。誤った者と同じ目線に立つことが,教育である。共育といってもいい。
わからないこと,決まっていないことを共に考えなければならない。 
 

2013/11/21

レ・ラパン

毎年11月の第3木曜日はボージョレ・ヌーボーの解禁日。


ここ数年、決まって「レ・ラパン」といういわゆる自然派ワインをいただいています。ブルゴーニュ地方を代表する自然派ワインの天才と呼ばれるフレデリック・コサール氏が手がけたこだわりの新酒です。

樹齢60年を超えるぶどうの木を農薬を一切使わずに育て,そこから収穫したぶどうを自然酵母で発酵,そして極力人の手間をかけずに比較的ゆっくりと熟成,ぶどう本来の風味がしっかりと味わえます。

自然の恵みに感謝しつつ,この一年をあれやこれやと反省し,美味しくいただきました。

 

2013/11/16

Touch wood.


災難や嫌な事などを避けるために唱える「まじない」のことばに,「くわばら,くわばら」 がありますが,英語でも似たような表現があると,バイリンガルの友人に教えてもらった。
 
主にアメリカでは 'Knock (on) wood.'. イギリスでは 'Touch wood.'と言うそうだ。
 
例えば,何か物事が順調にいっている話や,自慢話などをしてしまった直後に,不吉を避けるために,"Knock on wood."と,手のひらで木でできた身近にある物に触れながら口にする。周りに木でできたものがない時は,自分の頭に触れてもよい。

例えばこんな感じ。
 
"I've been very lucky so far.  Touch wood."

「これまでのところ,私ってすごくついているわ。(おっと)この運が逃げませんように。」
 



今日は都内のバイクショップに寄ったあと,「無事故・無違反,ゴールド免許の私は,おっと "TOUCH WOOOOOOD!!" 若洲公園まで行ってきました。」
 
 

2013/11/11

木枯らし1号

季節が移り変わったなぁと感じる瞬間(とき)があります。

さいたま市付近では,午後2時過ぎ頃,急に雲行きが怪しくなり,一瞬でしたが,まさに嵐のような,激しい雨と風になりました。

その後は北風に変わり,黄昏時(たそがれどき)から,逢魔時(おおまがとき)にかけて,季節が秋から冬へと移りゆく様子を肌で感じていました。

気象庁から,東京地方に「木枯らし1号」が吹いたという発表もありました。
木枯らし1号: 晩秋から初冬にかけて最初に吹く,最大風速8メートル以上の強い北寄りの風。西高東低の冬型の気圧配置によるもので,東京と大阪でのみ発表される。(大辞林より)
ここ最近の気候の変化で,風邪気味の人も増えています。体調管理には万全を期して,暖かくしてぐっすりとおやすみくださいね。


2013/11/03

feijoa

文化の日
 
リチャード&ヨーコのご自宅へおじゃましてきました。
 
東北の報告です。
 
二人とは2年半前のボランティア仲間です。
 
先月のはじめ,リチャードから久しぶりに連絡をもらい,二人で東北に行ってくると聞いた。
 
私も偶然月末に行って来ると伝えると,では,戻ったら会いましょうということになっていました。
 
右がリチャード,左が泣きそうな私。うそ
 
リチャードは,ほとんど日本語を話さないし,わかりやすく話そうとか気にしていないし,早口なニュージーランド・ネイティブなので,はじめは何を言っているか全然聞き取れませんでした **);
 
学生の頃,ネイティブの津軽のおばちゃんたちに囲まれて話しをする機会がありましたが,その時とまったく同じような感覚でした。これほどまでに違うのかー。
 
と・こ・ろ・が,しばらくすると慣れちゃうものなんですね。人間のこういう順応性というのは,不思議な気がします。あっ,あくまでも,基本ができていればということですよ。
 
これは自家栽培のフェイジョア(feijoa)というフルーツです。はじめていただく日本にはない味。わかりますか。少し酸味があるトロピカルテーストいっぱいの味わいです。
 
 
ヨーコさんお手製のアップルパイとミートパイ
 


本当にごちそうさまでした ^^)/





2013/11/02

ナビスコ杯決勝

浦和レッズVS柏レイソル

 
隣の秩父宮ラグビー場では,ラグビー日本代表とニュージーランド代表オールブラックスの試合でした。26年ぶりの対戦だそうですが,その時は秩父宮で見ていました。 
 
 

2013/10/31

石巻から松島へ



「三陸へ,2年後の今,そして明日」 ツーリングマガジン「アウトライダー(8月号)」の表紙にあった。
 
「あれから2年。今,三陸はどうなっているのか。この特集は被災地で生まれ育った弊誌スタッフが,揺れる思いを胸に現地を訪ね,まとめたものだ。三陸は,人々が来てくれることを待ち望んでいた。もし時間が許すなら,どうかあなたも,訪ねてみてはくれないだろうか。」(アウトライダー 8月号) 





「オートバイはいわば遊びの道具だ。被災地の人々の労苦を知っているだけに,オートバイで訪れる気にはなれなかった。だが,被災地の人たちからこんな声が聞くようになった。『被災直後はボランティアで来ていただき,本当に助かった。今度は遊びに来てほしい。あのころは何もなかったが,仮設とはいえ食事もお店もできた。三陸の被災地がどんなようすか見てほしい。そして,見たままを帰ってみんなに伝えてほしい。』一人の声ではない。あちこちで同じ声を聞く。私は考えを改めた。私も率先してオートバイ乗りを誘おう。と。」(斎藤純 「被災地からの伝言」より。)
 
 
「3.11のあの日,この国に暮らすすべての人々の時計の針は,一瞬,止まった。その後,時間が経つにつれ,それぞれの時計の針の進む速度が違ってきている。同じ被災地であっても,ほぼ以前通りの時間の進み方に戻れた人もいれば,まだのろのろとしか時間が進んでいない人もいる。なかには,時計の針があの日で止まったままの人もいる。
 
その時計の針を少しでも動かす手助けをしたいと僕は思う。具体的な方法はひとそれぞれでいい。僕には僕のやり方がきっとあるはずだ。でも,ひとつだけ確かなことがある。観光でもなんでもいい。興味本位だってかまわない。今の被災地では,外からやってきた人々に自分たちの街を見てもらえることが,動きが鈍っている時計の針を動かす力になっている。それは僕が保証する。だからこの夏,三陸の海を見ながら,バイクを走らせてみませんか?絶対いい旅になりますよ。」(熊谷達也 「時計の針を動かすために」)
 
 
  
 

2013/10/30

三陸へ

今日は遠野から立丸峠を越えて宮古へ,そして三陸の海岸沿いを,すでに宿の予約を済ませてある石巻まで,約340キロをまいります。
 
遠野まではおよそ50キロ約1時間の道のり。
 
早朝の遠野路はクルマの往来もほとんどなく,カーブの度にかすかに聞こえる耳触りのよい排気音以外は,シーンと静まり返っている。
 
花巻より十余里の路上には町場三ヶ所あり。その他はただ青き山と原野なり。人煙の稀少なること北海道石狩の平野よりも甚だし。或いは新道なるが故に民居の来たり就つける者少なきか。(遠野物語より)
 
ふいにおとずれる寂しさにいたたまれずセットした今井美樹の歌声には大いに癒されちゃいました(笑)
 
途中の田瀬湖周辺の紅葉は特に素晴らしかったな。 
 
遠野駅

駅前にある「遠野物語」の石碑を眺めていると,向こうから“ぴよぴよ”とおじいちゃんがやってくる。ほんとにかわいらしい小柄で上品そうな「おじいちゃんらしいおじいちゃん」である。

目が合って軽く会釈をすると,予想に反して,「これ,白バイなの?」とふいをつく意外な質問に,あとから思えば,「はい,そうなんですよぉ。今このあたりを警ら中なのでありますっ」 ってぐらいの返事ができなかったものかと考える時間がたっぷりあるのが旅の醍醐味なのかもしれない。はい。

遠野を十分に感じさせてくれた,おじいちゃんとの時間でした。


「遠野物語」(柳田國男)の石碑

遠野駅から北東に5キロほど走ったところに「かっぱ淵」がある。確かに今でもカッパが出現するっくらいの雰囲気があるところです。


おそるおそる歩いていくと,おじさんが,なにやら一生懸命,キュウリをぶら下げた仕掛けを用意しているところに遭遇。 現実の世界に引き戻されたようで,ちょっとほっとしました(笑)


で,このおじさん,(おじさんと呼ぶのは失礼に聞こえるかもしれませんが),このお方こそ,カッパ淵の守っ人(「まぶりっと」と読む)こと,“二代目カッパおじさん”なのであります。


「さいたまから来ました」 という私に,カッパおじさんも以前3年ほど八潮市(埼玉県南東部)に暮らしていたという。

「初代八潮市長も,遠野の出身なんだよ」と当時のことなどを懐かしそうに話してくれました。話の途中に,クルマで旅行中のご年配のご夫婦も加わって,しばしカッパ談義で盛り上がりました。
 

私も以前に市内の県立高校に在職経験があったことから,カッパおじさんとは多少のご縁を感じ,あらためて八潮の沿革について,市のホームページで調べてみました。 
戦後、地方自治を大きな柱とした新憲法が公布され、政府は、適正な自治体経営に必要な町村規模を計画して、昭和28年(1953)に町村合併促進法を公布した。八條、潮止、八幡の三村合併協議は、なかなか合意にいたらなかったが、八條村大字立野堀地区(現草加市稲荷)を分離し、新村名は三村の頭文字をとって「八潮」とすることで合意し、昭和31年(1956928日に八潮村が誕生した。

誕生までにさまざまな経験をした「八潮」であったが、都心から20キロメートル圏内という地の利もあり、その後の高度経済成長による工場の進出や急激な人口増加により発展を続け、昭和39年(1964)に町制施行、昭和47年(1972)には市制を施行した。
(八潮市HP,八潮の沿革より抜粋)

かっぱを祀るほこらの中には,初代カッパおじさんのご遺影も大切に飾ってありました。



遠野から,紅葉最盛期の立丸峠を越えて,宮古まで75キロ,およそ1時間30分ほどで,宮古・浄土ヶ浜に到着。

2013年5月に,これまでの「陸中海岸国立公園」から「三陸復興国立公園」という名称に,いちおう暫定的に改められている。(環境省の国立公園のHP


浄土ヶ浜へは,市街地を抜けて宮古港沿いを行く。いまだ生々しい震災の傷跡が,心に突き刺さる。行き交うクルマや人々に,心の中で小さく頭を下げながら,唇をきゅっと引き締めた。

JR山田線宮古駅に隣接する三陸鉄道宮古駅
 
お昼時の宮古駅の周辺は,人もバスやタクシーも出ているし,決して寂しい感じではなく,一見ありふれた日常の風景そのもの。写真は,人通りが途絶えたところでシャッターを押したせいで,閑散とした印象があるが。

やはり,素直に描写するには,街を包む空気の“コントラスト”が,強く感じられるわけで,ためらいもあった。

駅前でぼんやりしていると「埼玉からですか?」と声をかけてくれたのは,若い部下を2人をたずさえた50代半ばのお方である。大宮ナンバーを見たのだろう。「私たちも埼玉からなんですよー」。復興関連で宮古に来てもう2ヶ月になるという。
 
半年前に大型バイクを購入されたばかりで,今回はそのバイクで埼玉から来て,たまの休みには,バイクで出かけるのが何よりの楽しみだとおっしゃっていた。「こっちの道は最高だよ」って,救われるはどの明るい表情で言ってくれた。
 
お互いに少しだけ励まし励まされ,偶然の出会いに感謝をしつつ宮古を後にした。ありがたいものです。 
 
宮古から,吉里吉里,大槌,そして釜石へ。
 
釜石港近くの高台から

釜石から,大船渡,陸前高田,大船渡,そして気仙沼へ。

気仙沼以南の本吉から,小泉,そして南三陸町の歌津,志津川までは,2年半前にボランティアに参加した際に,全国から寄せられた水や食料品やガスコンロや電池や衣服やおむつなどを配達するという役どころについていたため連日クルマで往復した区間。

震災から1ヶ月半が過ぎ,まだ水道電気ガスは通じてはいなかった。被災されて苦しい思いや状況にありながら,慎み深くて,逆にいつも元気をもらっていたのは私たちボランティアのほうだった。

気仙沼を過ぎて,時折小雨が降る中,日もどっぷりと暮れ,志津川で,45号線が石巻方面へと右に折れるまで,前方に走るクルマのテールランプを頼りしないと怖くて走れないほどの真っ暗闇。まばらな灯りの数が象徴的に現状を伝えているようだった。

宮古からは,写真は,釜石で撮った上の1枚だけ。今回はいっぱい写真に収めて足を運べない友人知人に紹介しようと思っていたのだが。

ボランティア当時もなかなか写真は撮る気になれず,結局,携帯から撮ったこの1枚だけだった。

南三陸町役場