「三陸へ,2年後の今,そして明日」 ツーリングマガジン「アウトライダー(8月号)」の表紙にあった。
「オートバイはいわば遊びの道具だ。被災地の人々の労苦を知っているだけに,オートバイで訪れる気にはなれなかった。だが,被災地の人たちからこんな声が聞くようになった。『被災直後はボランティアで来ていただき,本当に助かった。今度は遊びに来てほしい。あのころは何もなかったが,仮設とはいえ食事もお店もできた。三陸の被災地がどんなようすか見てほしい。そして,見たままを帰ってみんなに伝えてほしい。』一人の声ではない。あちこちで同じ声を聞く。私は考えを改めた。私も率先してオートバイ乗りを誘おう。と。」(斎藤純 「被災地からの伝言」より。)
「オートバイはいわば遊びの道具だ。被災地の人々の労苦を知っているだけに,オートバイで訪れる気にはなれなかった。だが,被災地の人たちからこんな声が聞くようになった。『被災直後はボランティアで来ていただき,本当に助かった。今度は遊びに来てほしい。あのころは何もなかったが,仮設とはいえ食事もお店もできた。三陸の被災地がどんなようすか見てほしい。そして,見たままを帰ってみんなに伝えてほしい。』一人の声ではない。あちこちで同じ声を聞く。私は考えを改めた。私も率先してオートバイ乗りを誘おう。と。」(斎藤純 「被災地からの伝言」より。)
「3.11のあの日,この国に暮らすすべての人々の時計の針は,一瞬,止まった。その後,時間が経つにつれ,それぞれの時計の針の進む速度が違ってきている。同じ被災地であっても,ほぼ以前通りの時間の進み方に戻れた人もいれば,まだのろのろとしか時間が進んでいない人もいる。なかには,時計の針があの日で止まったままの人もいる。
その時計の針を少しでも動かす手助けをしたいと僕は思う。具体的な方法はひとそれぞれでいい。僕には僕のやり方がきっとあるはずだ。でも,ひとつだけ確かなことがある。観光でもなんでもいい。興味本位だってかまわない。今の被災地では,外からやってきた人々に自分たちの街を見てもらえることが,動きが鈍っている時計の針を動かす力になっている。それは僕が保証する。だからこの夏,三陸の海を見ながら,バイクを走らせてみませんか?絶対いい旅になりますよ。」(熊谷達也 「時計の針を動かすために」)