2013/02/05

スラスラ感 〜 清水かつぞー先生

私が私淑する國弘正雄さんの著書 『國弘流 英語の話し方』(たちばな出版 1999)の中で,清水かつぞー先生が、毎年4月に予備校の教え子に渡すプリントについて紹介されています。

残念ながら、清水先生はすでにお亡くなりになっていますが,「英単語ピーナッツほどおいしいものはない」の著者としてもとても有名な方です。

以下その一部からの引用です。
わからない単語が一ページに十もあり、一つひとつ辞書を引く。そのあとで一所懸命にノートに日本語訳をでっちあげる。授業中に教師が言う訳を参考にして、自分の訳を訂正する。文法的な説明その他もノートする。家に帰って、少し復習して、それでおしまい。次の週も同じように予習して、同じように授業を受ける。
もし君が英文解釈でこうした勉強法をしていたら、残念ながら、長文を何題やろうが、何年勉強しようが、あまり実力はつかないだろう。残酷なようだが本当だ(もちろん、全然無駄とは言わない)。

英文解釈の勉強とは、スラスラわかる英文を一つひとつ作りあげていくことなのだ。
「スラスラ感」を味わうには、地道に音読を繰り返すという復習が欠かせない。ほとんどの生徒はそこを逃げようとする。いや、そのことに気づきもしない。教師もその点をしつこく言わない。復習は各自がやることが建前なのだ。
最初から量を焦ってはいけない。「スラスラ感」さえ獲得すれば、量はあとから、あっという間についてくる。
よろしいか。最初の十題がスラスラ読めるようになるのに二百時間かかったからといって、その十倍の百題をスラスラ読めるようになるのに同じ十倍の二千時問かかるということはないのだ。最初の一題は本当に涙が出るほどつらい。しかし、そこは覚悟を決めてクタクタになるほど復習したまえ。Believe me!

これまでは、英文理解が学習の目的であって、音読はその 「復習」 に過ぎなかったが、これからは、音読のスラスラ感を得ることを学習の目的とし、英文理解はそのための 「予習」 と位置づけてみる発想の転換が必要だということです。