茨木のり子
宇宙の漆黒の闇のなかを
ひっそりまわる水の星
まわりには仲間もなく親戚もなく
まるで孤独な星なんだ
生まれてこのかた
なにに一番驚いたかと言えば
水一滴もこぼさずに廻る地球を
外からパチリと移した一枚の写真
こういうところに棲んでいましたか
これを見なかった昔のひととは
線引きできるほどの意識の差が出てくる筈なのに
みんなわりあいぼんやりしている
太陽からの距離がほどほどで
それで水がたっぷりと渦巻くのであるらしい
中は火の玉だっていうのに
ありえない不思議 蒼い星
すさまじい洪水の記憶が残り
ノアの箱舟の伝説が生まれたのだろうけれど
善良な者たちだけが選ばれて積まれた船であったのに
子子孫孫のていたらくを見れば
この言い伝えもいたって怪しい
軌道を逸れることもなく いまだ死の星にもならず
いのちの豊穣を抱えながら
どこかさびしげな 水の星
極小の一分子でもある人間が
ゆえなくさびしいのもあたりまえで
あたりまえすぎることは言わないほうがいいのでしょう
『谷川俊太郎選 茨木のり子詩集』
(岩波文庫,2014)