2021/09/01

『吾輩は猫である』の中の英語 (4)


六  アグノダイスヒエロフィラス


「また希臘(ギリシャ)か」と主人が冷笑するように言い放つと「どうも美な感じのするものは大抵希臘から源(みなもと)を発しているから仕方がない。美学者と希臘とは到底離れられないやね。― ことにあの色の黒い女学生が一心不乱に体操をしているところを拝見すると,僕はいつでも Agnodice の逸話を思い出すのさ」と物知り顔にしゃべり立てる。「また六ずかしい名前が出てきましたね」と寒月君が依然としてにやにやする。「Agnodice はえらい女だよ,僕は実に感心したね。当時亜典(アテン)の法律で女が産婆を営業する事を禁じてあった。不便な事さ。Agnodice だってその不便を感ずるだろうじゃないか」「何だい,その―何とかいうのは」「女さ,女の名前だよ。この女がつらつら考えるには,どうも女が産婆になれないのは情けない,不便極まる。どうかして産婆になりたいもんだ,産婆になる工夫はあるまいかと三日三晩手を拱(こまぬ)いて考え込んだね。丁度三日目の暁方(あけがた)に,隣の家で赤ん坊がおぎゃあと泣いた声を聞いて,うんそうだと豁然大悟(かつぜんたいご)して,それから早速長い髪を切って男の着物をきて Hierophilus の講義をききに行った。首尾よく講義を聞き終(おお)せて,もう大丈夫というところで以て,いよいよ産婆を開業した。ところが,奥さん流行(はや)りましたね。あちらでもおぎゃあと生まれるこちらでもおぎゃあと生まれる。それがみんな Agnodice の世話なんだから大変儲(もう)かった。ところが人間万事塞翁(さいおう)の馬,七転(ななころ)び八起(やお)き,弱り目に祟(たた)り目で,ついこの秘密が露見に及んで遂に御上の御法度(ごはつと)を破ったというところで,重き御仕置きに仰せつけられそうになりました」「まるで講釈見たようです事」...