当たり前の話ですが,水泳教本を読んで泳ぎ方を理解したからといって,泳げるようになった人はいません。
泳げるようになりたければ,教本に書いてあることを理解した上で,“とにかく泳いでみる” ことです。
泳げるようになりたいとばかり口にして,教本も読まず,泳ぎもしない人は,ぜったいに泳げるようになりません。
いたってシンプルです。
また,自分の泳ぐ力を,級別試験にゆだねる必要はありません。自分がどの程度泳げるか泳げないかは,実際に泳いでみればわかることです。目をそむけないで自分で判断することです。
スティーブン・R・コヴィー氏nの 「7つの習慣」(The 7 Habits of Highly Effective People)の中に次のような言葉あります。
ピアノを習い始めたばかりなのに,リサイタルを催せるほどの腕前だと友人たちに吹聴したらどうなるだろう。
答えは言うまでもない。発達のプロセスを無視し,途中を省略することなどできるわけがない。それは自然の理に反する行為であり,近道しようとして得られるのは失望とフラストレーションだけである。
どんな分野にせよ,現在の能力のレベルが10段階の2であるなら,5に達するためにはまず3になる努力をしなければならない。
「千里の道も一歩から」始まる。何事も一歩ずつしか進めないのだ。
What if you were to lead your friends to believe you could play the piano at concert hall level while your actual present skill was that of a beginner?
The answers are obvious. It is simply impossible to violate, ignore, or shortcut this dvelopment process. It is contrary to nature, and attempting to seek such a shortcut only results in disappointemnt and frustration.
On a ten-point scale, if I am at level two in any field, and desire to move to level five, I must first take the step toward level three.
"A thousand-mile journey begins with the first step" and can only be taken one step at a time.
同時通訳の神様,國弘正雄先生は 「英会話ぜったい音読・入門編」の中で次のように言っています。
1冊のテキストが「分かった」からと言って,別の新しい教材をやってみる,こんな人の英語力はかわいそうなほど伸びません。
基礎練習は身体が覚えるまでやることです。「分かる」と「使える」は大違いです。「分かる」だけでは「使える」英語はぜったいに身につきません。これと決めたら,身体が覚えるまで,その教材をやるのです。
「習うより慣れろ」という言葉がありますが,私はそれでは足りないと考えています。英語は「慣れるまで習え」と声を大にして言いたいと思います。テキストを繰り返し繰り返し声に出して読み,ノートに書き写して,身体が英語に慣れるまで精進してください。