2018/06/10

ダヴコット文庫より

『愛蔵版 一日一生』 (天台宗大阿闍梨 酒井雄哉)



草木は太陽に照らされて,種から芽が出てきて,水を吸収して育って,実って,また種から芽が出る。この世のすべてに原因があって,その原因が結果になって表れる。

それは草も木も人間も同じなんだね。人間の行いも,原因があって,結果がある。だから,幸せになるもならないも,行いひとつでしょうな。よいことをつねにしていれば,周りの人たちは安心して,その人の話に耳を傾けるようになるし,だんだんとその人を好ましく思うようになるじゃない。すぐではないかもしれないけれど,時間とともに信用されてくるしね。行いというものは,またよい行いをしていると必ず巡り巡って人にいい影響を与えているものだしな。

やみくもに人より先を走ってやろうとか,人をだしぬいてやろうとか思っていると,相手にとって敵対行為のようになってしまう。そうすると,そういう結果が返ってきて,幸せになろうとしていたはずなのに,幸せとはちがうところにいっちゃったっていうこともある。

周りの人から,自分へのお返しを期待するんじゃなくて,「これをしたら,相手にとっていいだろうな」と思うことをちょっとでも考えてあげてな,行動すればいい。もちろん,人間だから,それぞれの受けとりかたによって,「よいこと」というのはちがうのは当たり前で,自分がよかれと思ってしたことでも,誤解を生じることもあるしな。それをまたむきになって反論して,よいと思ったことが裏目に出るときもあるしな。まあ,押し付けることはないし,がっかりすることもないよ。そのときにはわかってもらえなくても,何年か経ってからわかってもらえるってことはあるしな。

すべて長い目で見てね,自分を信じてやっていけばいい。わるい行いはやらないようにする。それだけですな。この原理を知れば,お互い気持ちがいいものね。

結果は,うんと時間がかかるかもわからない。でも,必ずいつか原因がはっきりするときがあるし,それまで,どーんと大きくかまえていたらいいじゃない。

よい行いを一生懸命やっていれば,心持ちはのんびり構えていていいんだよ。お天道さまはこの世をまんべんなく照らし,恵みはまんべんなく降り注いでいるから。

「行いが結果になって表れる」より