急性白血病のため昨年12月から入院していたという加川良が今朝,息を引き取りました。享年69歳。
岡林信康や高田渡などの影響を受け,吉田拓郎か加川良か,などと言われたこともある,いわば日本のフォークの先駆け的存在でした。
彼の代表作「教訓Ⅰ」は,ベトナム戦争のさ中,反戦フォーク・プロテストソング全盛の1971年(戦後26年目)に発売されました。
詩はいかにも軟弱で臆病者の言葉に聞こえるかもしれませんが,この歌にはプロテストソングとして強いメッセージがあります。僕は以前からこの曲を戦前教育のアンチテーゼとして聞いていました。
日本は終戦までの約60年もの長きにわたり「教育勅語」を基本方針として教育が行われてきました。「主権在君」,「国に何かあれば一身を捧げて皇室国家のためにつくせ!」という教えでした。
ちょうど,大石先生と子どもたちのふれあいを通して,戦争の悲惨さを描いた「二十四の瞳」の中の時代と重なります。
戦後,日本国憲法の下,「主権在民」の世になり,新しい教育基本法・学校教育法が施行されました。しかし,60年という3世代にもわたる歳月は,急に考え方を変えることになったと言われても,なかなかそういうわけにはいかない時代の長さと重みがあります。
学校現場もずいぶん混乱していたようです。なにしろ額に収められた教育勅語が書かれている紙を,神としてずっと崇めてきたわけですから。処分した学校もあれば,大切に保管していた学校もあったそうです。
ですから1948年,衆議院では「教育勅語等排除に関する決議」を,参議院では「教育勅語等の失効確認に関する決議」をあらためて行なう必要があったわけです。
戦後19年目に生まれた僕はいたって保守的な人間です。日本の伝統文化や戦後70余年にわたって守ってきた現体制を保守し,次の世代にバトンを手渡していきたいと思っています。
一部の復古主義の政治家や物言えぬ保身主義の政治家を注視していく責任と義務があると思っています。これ以上天皇陛下を政治利用しないでいただきたい。
加川良は死んだ。だけど彼の歌は死んでほしくない。「歴史」になるにはまだ生乾きの教育勅語のアンチテーゼとして,これからも歌い継がれていってほしいと願っています。謹んでご冥福をお祈りします。
(追記)中学で必修の武道種目の1つに「銃剣道」を中学学習指導要領に追加するという旨の告示が3月31日になされました。これで日本武道協議会に加盟する団体の9種目がすべて揃ったことになります。
全日本銃剣道連盟には約4万人が登録し,そのうち9割が自衛官が占めています。銃剣道という競技そのものは結構なことだとは思いますが,今,中学の学習指導要領に加えるということが,はてして望ましいことなのかどうか疑問に思います。