近所の公園に一本だけある「河津桜」も五分咲きになりました。
渡辺憲司著 『海を感じなさい-次の世代を生きる君たちへ』(朝日新聞出版,2012)より
思考はつねに,粋でなくてはならない。人の生き方としてもだ。その「粋」を促すのが,一部の人たちが野暮と見る「ひたむきさ」なのだ。ひたむきさはけっして野暮ではない。むしろ,粋の骨頂である。
人は学ぶことによって初めて,歩み寄り,調和できるようになる。検証することもなく,学ぶこともなく,既成事実や前例を絶対視してしまったら,そこで一巻の終わり。それこそが,野暮というものだ。
学ぶとは,自分が変わることである。人は,変化を前にすると怖気づくことがある。とくに大人になるほど,年齢を重ねるほど,その傾向は強くなる。それが「瓦智」だ。
しかし,本来,年を重ねれば,年々,見聞きすることが増えていくわけだから,そのぶん,思考はしなやかになってしかるべきなのだ。凝り固まらず,むしろ「思考の不安定状態」が生まれると言ってもいい。
なぜ,年を重ねると瓦智になってしまうのか?自分の思い込みを固める,都合のよい話だけを‟つまみ食い”するからだ。思考の偏食は慎むべきだ。変化を怖れてはならない。変わり続けるために,心が不安定になることに腰が引けてはならないのだ。
不安をなくすために必要なのは,不安を棚上げすることではない。唯一,最強の方法は,学び続けることだ。不安がもたらす無知を解消するために,人生,最後まで辞書を引き続けることが大切なのだ。