ひたむきに… 粋に勉強しよう!
思考停止は「瓦智」である。瓦智は「ガチガチ」の語源にもなっている、がちがちに凝り固まった状態を指す言葉だ。別な言い方をすると「野暮」、つまり「粋」の反対語と言える。
思考はつねに、粋でなくてはならない。人の生き方としてもだ。その「粋」を促すのが、一部の人たちが野暮と見る「ひたむきさ」なのだ。ひたむきさはけっして野暮ではない。むしろ、粋の骨頂である。
人は学ぶことによって初めて、歩み寄り、調和できるようになる。検証することもなく、学ぶこともなく、既成事実や前例を絶対視してしまったら、そこで一巻の終わり。それこそが、野暮というものだ。
学ぶとは、自分が変わることである。人は、変化を前にすると怖気づくことがある。とくに大人になるほど、年齢を重ねるほど、その傾向は強くなる。それが「瓦智」だ。
しかし、本来、年を重ねれば、年々、見聞きすることが増えていくわけだから、そのぶん、思考はしなやかになってしかるべきなのだ。凝り固まらず、むしろ「思考の不安定状態」が生まれると言ってもいい。
なぜ、年を重ねると瓦智になってしまうのか?自分の思い込みを固める、都合のよい話だけを‟つまみ食い”するからだ。思考の偏食は慎むべきだ。変化を怖れてはならない。変わり続けるために、心が不安定になることに腰が引けてはならないのだ。
不安をなくすために必要なのは、不安を棚上げすることではない。唯一、最強の方法は、学び続けることだ。不安がもたらす無知を解消するために、人生、最後まで辞書を引き続けることが大切なのだ。
渡辺憲司著 『海を感じなさい-次の世代を生きる君たちへ』より