by 原 辰徳
「弔辞、長嶋茂雄殿。長嶋さん、原辰徳です。長嶋さん寂しいです。世界中の野球ファンがそう思っているでしょう。私もその中の一人です。私は長嶋さんに憧れていました。
九州で生まれ、野球を見ることが大好きでした。長嶋さんのワンプレー、ワンプレーかっこよかった。「4番、サード、長嶋」の響きに憧れ、同じポジションを守りたいと強く思いました。
東海大学4年のときのドラフト会議で、私は藤田監督に交渉権獲得のくじを引いてもらい、夢であった巨人軍入団となりました。その日の夜、自宅に1本の電話が鳴りました。おふくろが出たのですが、「長嶋さんからよ」と血相を変えて伝えてきました。代わってみると「長嶋です。おめでとう。君が巨人に入ってくれて本当によかった」と祝福してくれました。
その年、長嶋さんは監督をお辞めになって、立場的にも難しい状況だったと思いますが、なんと広い視野で野球を捉え、巨人を愛している方なのだろうと思いました。その中で長嶋さんの言葉は力になり、宝になり、自信を持って巨人の門を叩くことができました。指導者としても多くのことを教わりました。野手総合コーチ、ヘッドコーチとして3年間、長嶋監督のそばに立たせてもらいました。
東京ドームの監督室、遠征に出れば宿舎の部屋で、それこそ長嶋さんが「もう今日はいいんじゃないか」って顔をされるぐらい通いましたよね。本当に全てを学ばせてもらいました。試合中も、移動するバスの中も、常に長嶋さんの後ろが私の定位置でしたから、私ほど長嶋さんの背中を見つめた人間はいないんじゃないでしょうか。
常に、万人に愛される、朗らかな笑顔を絶やさない方でした。背中は本当にいろんな表情を見せてくれました。勝てば揚々と躍動するような雰囲気でしたが、負ければ、何とも言えない寂しそうなものでした。「こんな背中は見たくない」と活力にしたことも記憶に鮮明に残っております。
2001年9月27日、広島との試合後です。監督室に呼ばれました。急いで監督室のドアをノックし、開けてみると、すぐ目の前に直立されて、立たれていました。いつもと違う雰囲気に圧倒されていると、「来年から原監督だ。おめでとう」と右手を差し出してくれました。
何が起きているかよくわからないままに、両手でその手を握り返しましたが、そのときの長嶋さんの手の熱さに足はガクガク震え、同時に責任の重さを感じました。あれから私なりに一生懸命駆け抜けてきましたが、監督に指名してくれた長嶋さんの期待に応えたことはできたでしょうか。
監督を務めていた間は「どうだ、気分良くやっているか」といつも温かい言葉をかけてくれましたね。一言二言、忠告したいこともあったのかもしれませんが、そういったことは一度もありませんでした。私は「監督たるもの人に頼るなよ。自立するんだぞ」というメッセージを受け取っていました。
常に勝負に厳しく、ファンのことを第一に考えられていた長嶋さん。私をはじめ、今の巨人軍選手にも確実に長嶋さんの志は受け継がれています。長嶋茂雄は永久に不滅です。ミスター、本当にありがとうございました。これからも大好きな巨人軍を温かく見守ってください。令和7年6月7日。原辰徳」