2022/12/18

その後

(備忘録)


北条義時は,承久の乱後,1224年に世を去った。翌年には大江広元,また北条政子が相ついで死去し,幕府政治は新たな局面を迎えた。

義時についで執権となったのは,六波羅探題となっていた子の 泰時 である。泰時は合議を重視する行政組織の構築をこころみた。

まず1225年に 連署 という職を設け,ともに六波羅探題をつとめた叔父の 時房 をこれにあてた。...

連署

北条義時の死後,執権の座をめぐり,泰時・政村兄弟の確執があった(義時は政村の生母の伊賀氏に毒殺されたとの風評あり)。泰時は自己の勢力を強化するために,叔父の 時房 を補佐役に起用した。これが,連署の始まりである。連署の名は,幕府の公的な文書に執権とならんで署名するのに由来する。副執権ともいうべきこの職は,こののち,北条氏一門の有力者が任じられた。  

「詳説 日本史研究」(山川出版 2017)