僕が武田城跡を初めて知ったのは,昨年公開された高倉健主演映画「あなたへ」の中のシーン。宮沢賢治「星めぐりの歌」を唄う田中裕子と高倉健が再開するシーンの舞台になっていた。「こんな場所が日本にあったのか」と,おそらくあの映画を見た人は誰もが思ったことだろう。
写真提供 吉田利栄(朝来市フォトギャラリーより) |
ところが,今では,至るところに立ち入り禁止の看板が立てられ,石垣の縁にはロープが張り巡らされて,以前の景観は見る影もない。
先月,ある男性(36歳,アルバイト)が石垣から誤って転落し,腰の骨を折る重傷を負った事故によるもだという。
市の担当者の方へのインタビューを目にしたが,なるほど,担当者の立場になってみれば,現在の社会風潮からして,致し方ないことなのかもしれないと思った。
以下は,手元にある本の「まえがき」の冒頭部分からの引用です。
米国アリゾナ州北部に有名なグランド・キャニオンがある。... ある日,私は現地へ行ったみた。そして,驚いた。...
国立公園の観光地で,多くの人々が訪れるのにもかかわらず,転落を防ぐ柵が見当たらないのである。しかも,大きく突き出た岩の先端には若い男女がすわり,戯(たわむ)れている。 ... 日本だったら柵が施され,「立入厳禁」などの立札があちこちに立てられているはずであり,...
日本の観光地がこのような状態で,事故が起きたとしたら,どうなるだろうか。日本の公園管理当局は,前もって,ありとあらゆる事故防止策を講ずる。いっていみれば,行動規制である。観光客は,その規制に従ってさえいれば安全だというわけである。
大の大人が,レジャーという最も私的で自由な行動についてさえ,当局に安全を守ってもらい,それを当然ししている。これに対して,アメリカでは,自分の安全は自分の責任で守っているわけである。
なぜ,日本の社会は,このように規制を求める社会なのか。
断っておくが,私は,規制を求める社会が間違っている,というのではない。社会のあり方の問題としては,正しいとか間違いとかいうものはない。日本には歴史と伝統に基づく社会のあり方がある。
日本の社会は,多数決ではなく全会一致を尊ぶ社会である。全員が賛成してことが決まる。逆にいえば,一人でも反対があれば,事が決まらない。
こういう社会であくまで自分の意見を主張するとどうなるか。事が決められず,社会は混乱してしまう。社会の混乱を防ぐには,個人の意見は差し控え,全体の空気に同調しなければならい。同調しないものは村八分にして抑えつける。その代わり,個人の生活や安全はムラ全体が保障する。社会は個人を規制し,規制に従う個人は社会と安全が保証される,という関係だった。...これは,約20年前に出版された小沢一郎さんの「日本改造計画」という本。今では,政治的にすっかりほされちゃった感がありますが,「自己責任」について,みんなで考えてみようということについて,僕は大賛成。
ちなみに,この本の中で小沢さんが主張しているのは,政治のリーダーシップの確立(責任の所在の明確化,脱官僚),地方分権,規制改革のこと。
今日,江田憲司さんを党首に「結の党」が旗揚げしましたが,政権担当能力のある一大勢力を結集しなければならないとし,脱官僚,脱原発,地方主権,規制改革を目指すと言っていました。何がどう違うのやら。
シラけムードも漂っていますが,今の大人が政治に無関心になっては,これからの子どもたちにはあまりに無責任。いやでも注目していかないといけませんね。
そうそう,グランドキャニオンは思い出深い場所で,確かに危なっかしかったなー(手前の写真)。
おまけ
映画「あなたへ」が公開された翌日,高倉健さんはロケ地として協力を受けた富山刑務所を再訪した。その時に声を詰まらせながら言った言葉。
「あなたへ」は,人を思うことの大切さ,そして思うことの,切なさにもつながると思います。